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   <title>英国の歴史について　１</title>
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   <published>2012-05-05T03:25:04Z</published>
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   <summary> 今回は、英国の歴史について、少し触れていこうと思います。 ・・・1909年に設...</summary>
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今回は、英国の歴史について、少し触れていこうと思います。


・・・1909年に設立されたドレッドノート・トラストは、1921年から1929年にかけてニューサウスウェールズに入植した5,000人の少年達に援助を与えた。


少年達は英国内でオーストラリア政府当局者の選考を受け、補助金付きの船の切符を手にして農器具の扱い方、馬の管理方法等の職業訓練を施されました。


こうした少年達の大半は労働者階級出身で、すぐれた農場労働者になることを目指していました。

      
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   <title>あの占いの原典</title>
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   <published>2012-04-10T02:22:23Z</published>
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   <summary>四柱推命の原典である『淵海子平』が理解するのが難しいと言われていることを申し上げ...</summary>
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      <![CDATA[四柱推命の原典である『淵海子平』が理解するのが難しいと言われていることを申し上げました。

これは内容が難しいのではなく、除子昇がまとめたといわれるこの原典は除子平の話のメモ書きであり、知識の寄せ集めのために、難解な印象を与えているのです。

メモ書きにすぎないものが原典となってわかりにくかったので、そこにさまざまな解釈や新しい方法を"増築"してしまったため、地図でもないとトイレにも行けないような家になってしまったのです。

四柱推命は日本を初め、大陸の中国、香港、台湾などの華人社会を中心に今でも盛んにおこなわれていますが、互いに相手の四柱推命を正統なものからかけ離れているとして批判をしあっています。

自分の四柱推命こそが正しいやり方なのだと主張しています。

先生方の主張を拝聴すると、素人にはどれもがごもっともな話に聞こえます。

しかし、もっともな話が三つも四つもあるとはどういうことなのか。

これなども、スーパーマーケットの売り場だと考えればわかりやすのです。

つまり、自分が買った商品こそがこの店の一番の売り物であり、これを買わない奴がこの店(四柱推命)のなんたるかをわかったような口をきくのはけしからん、と互いに主張しあっているのです。

そして、<a href="http://www.e-aine.com" target="_blank">電話の占いサービス</a>もおすすめです。]]>
      
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   <title>英和辞典</title>
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   <published>2012-04-05T03:50:31Z</published>
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   <summary> 1853年(嘉永六)ペリーが黒船を率いて浦賀に来航し、鎖国政策をとっていた江戸...</summary>
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1853年(嘉永六)ペリーが黒船を率いて浦賀に来航し、鎖国政策をとっていた江戸幕府に開国を要求してきました。


その時、通訳をつとめた掘達之助の手により、日本で最初の英和辞典が編まれた。


幕府洋書調所の「英和対訳袖珍辞書」と呼ばれるもので、菊判953ページで初版200部、見出し語は約34000だった。


ベストセラーという語がはじめて用いられたのは、1895年、アメリカの月刊文芸誌「ブックマン」誌上で、その年のアメリカ19都市の小売店で最もよく売れた新刊本6冊のリストを掲げたことにはじまる。


日本では、「週刊朝日」ではじめてベストセラーという語が用いられ、1946年(昭和21)5月19日号に登場した。


ちなみに、世界一のベストセラーは、おそらく「聖書」でしょう。

      
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   <title>「類書」とよばれる図書</title>
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   <published>2012-03-08T04:50:12Z</published>
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   <summary>中国には、古くから「類書」とよばれる図書があって、百科事典の役割を果たしていまし...</summary>
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      中国には、古くから「類書」とよばれる図書があって、百科事典の役割を果たしていました。


「類書」はすでに後漢の時代(二世紀ころ)からあったが、唐・宋の時代から盛んに刊行されています。


日本では、古くは10世紀初期に源順が編纂した「和名類聚抄」があります。


江戸時代に入り1712年(正徳二)に寺島良安の編纂による「和漢三才図会」などが百科事典の前身として有名です。


現代のような大がかりの百科事典の刊行は昭和期に入ってからで1931～35(昭和6～10)にかけて平凡社が「大百科事典」を刊行しています。


      
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   <title>百科事典</title>
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   <published>2012-02-07T04:49:55Z</published>
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   <summary> 西洋最古の百科事典は、ローマ時代にプリニウスが編纂した「博物誌」とされています...</summary>
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西洋最古の百科事典は、ローマ時代にプリニウスが編纂した「博物誌」とされています。


多数の人の著述約2000種からなり、天文、地理、歴史、美術、動植物、鉱物にわたる37巻の大事典です。


エンサイクロペディアという書名で、百科事典の実を備えたのは、1630年ドイッ人アルシュテットの編纂した百科事典です。


これまでの百科事典は、項目の配列が分類別によるものであったが、1674年にフラソスのモレソの刊行した「歴史大辞典」は、内容は歴史事典であるが、初めてアルファベットの順配列を用いたものでした。


一八世紀に入ると各国でさまざまな百科事典が刊行されたが、1768～71年にかけてイギリスで刊行された「ブルタニカ百科事典」は、現代の世界の百科事典の範となっています。


      
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   <title>文庫本</title>
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   <published>2012-01-10T04:49:43Z</published>
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   <summary> 文庫本とは、文庫判サイズ(A六判)の小型軽便で、安価に求められる本のことで、1...</summary>
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文庫本とは、文庫判サイズ(A六判)の小型軽便で、安価に求められる本のことで、1867年からドイツのライプチで出はじめたレクラム文庫は、最古の文庫本です。


1906年にロソドンのデソトが刊行しはじめた「エブリマンズ・ライブラリー」も、世界的に有名な文庫本です。


日本では1927年(昭和2)から刊行された岩波文庫、27年からの新潮文庫、29年の改造文庫、第二次世界大戦後では角川文庫などがあります。


いずれも、レクラム文庫やエブリマンズ・ライブラリーに範をとっています。


また、特定の主題を持ち、限られた冊数で完結するもので、たとえば母親文庫、料理文庫なども文庫本とよばれています。


      
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   <title>週刊誌</title>
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   <published>2011-12-03T04:49:30Z</published>
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1981年にイギリスで刊行された「ウィークリー・メモアルズ」が最古の週刊誌といえるが、あまり一般的な週刊誌ではなく、やはり最初の大衆週刊誌は、ジョージ・ニューンズが発行した「ティット・ビッツ」でしょう。


日本では、明治30年代に博文館から、「太平洋」という週刊誌が発刊されたが、ほどなく廃刊となっています。


大衆週刊誌の草分けは、やはり1922年(大正11)4月に創刊された「週刊朝日」と「サンデー毎日」です。


第二次世界大戦後では、1956年(昭和31)2月「週刊新潮」、59年(昭和34)4月に「週刊文春」などが次々と創刊されて、週刊誌時代ブームを迎えた。


また、1975年(昭和50)ごろからコミック・ストーリーと呼ばれる、ストーリーのある漫画・劇画の週刊誌が数多く発行されました。


これはアメリカが本家で「スーパーマン」の連載がはじまりです。


      
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   <title>雑誌</title>
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   <published>2011-11-06T04:49:09Z</published>
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   <summary> 雑誌について。 最初の雑誌は、1661年にフランスで、ドニ・ド・サロという人に...</summary>
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雑誌について。


最初の雑誌は、1661年にフランスで、ドニ・ド・サロという人によって創刊された「ジュルナール・デ・サバン」と、同じ年にイギリスで創刊された「フィロソフィカル・トランスアクションズ」です。


さらに82年には、ドイッで「アクタ・エルディトルム」が創刊されています。


日本の最初の雑誌は、1867年(明治3)に柳河春三が出した「西洋雑誌」です。


ちなみに、雑誌を英訳した「マガジン」の意味は、知識の倉ということです。


      
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   <title>新築当初の殿舎</title>
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      新築当初の殿舎はかなり華やかな趣を呈していたはずで、少なくとも現在考えられているほど閑寂な雰囲気ではなかったと思われます。


あたかもそれと照応するかのように、古書院屋根東妻にかかる懸魚の六葉は、従来、素木と考えられていたのに、調査結果では金箔の置かれていたことが明らかとなりました。


ブルーノ・タゥト以来、桂離宮は華美の日光東照宮と対置する日本美の典型として理解するのが一般であったが、右のような事実は、そのような理解に新しい検討を迫ることとなるでしょう。


これも桂離宮昭和大修理によって得られた成果として記憶されるべきです。


      
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   <title>人生の神秘について</title>
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   <published>2011-09-24T05:04:30Z</published>
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      <![CDATA[
よしんばあなたが、目に見えるもの、耳にきこえるもの、舌で味わえるもの、手足や皮膚でさわって感じられるもの以外のものを決して信じないと主張するとしても・・・


物理的でない"超自然力"を勇敢に否定することができますか？


わたしたちは、あらゆる国、あらゆる民族の男女の人生のなかに、ひじょうに深く影響をあたえている神秘的な(そして合理的とは思えない)なにかの要因(不測不定で叙述も説明もしにくい要因)が、作用していることを感知します。


その要因は、あらゆる種類の幸運を人間にあたえることができ、そして与えるという段になれば・・・


その人間の出生・血筋・財産・教育・才能・性格などがどうであろうと、いささかも拘泥しないのです。


この謎のような何ものかが"運"であります。


・・・してみれば、不確実ということは人類にとって、なんというしあわせであることでしょう。


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   <title>仕上げの壁</title>
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   <published>2011-09-04T07:01:45Z</published>
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      切返し仕上げの壁の表面は、ほとんど黒色といってよいくらいくろずんでいます。


この色は中書院一の間の床ノ間を飾る狩野派の水墨画等ともよく調和し、いかにも日本的な美を醸し出しているとして、いままで桂離宮を論じた諸碩学のつとに称揚したところでした。


ところが大修理における調査結果では、この色は壁表面の経年変化によって生じたもので、もとは鮮やかな赤色の土(大阪土系のもの)であることが判明した。


おそらく土に含まれている鉄分が酸化して、黒色化したものでしょう。


      
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   <title>諸殿舎では</title>
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   <published>2011-08-04T07:01:18Z</published>
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      <![CDATA[中書院以下の諸殿舎では、創建時まで遡るか否かはともかく、明治修理の際に手を触れられておらず(部分的な補修は施されている)、少なくとも江戸時代に塗られた<a href="http://www.tosou-navi.jp/" target="_blank">外壁リフォーム</a>が多数残存しており、かつ下地等が組替えられた痕跡等も見当らないので、これらの壁が創建以来、切返し仕上げであったことはほぼ確実と見られています。


それで江戸期の左官工法を伝える貴重な資料として、躯体を解体したところでも、これらの壁は「大ばらし工法」という新工法を採用し、そのまま後世に残されることになりました。
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   <title>肌オーラ</title>
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   <published>2011-07-21T03:53:56Z</published>
   <updated>2012-01-11T04:27:01Z</updated>
   
   <summary> 透き通るほどのみずみずしい肌からオーラが香る。 &quot;雰囲気&quot;を辞書で引くと『その...</summary>
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      <![CDATA[
透き通るほどのみずみずしい肌からオーラが香る。

"雰囲気"を辞書で引くと『その場を満たしている気分、または空気』とある。

その人をとりまく空気が、匂うように美しければ、その人は文句なく"雰囲気のある人"といわれるだろう。

ここでふと、体の中から芳香を放つために、かの楊貴妃が当時きわめて希少であったという蕩枝を毎日山ほど食べていたという話を思い出した。

自分の体から芳香を放つことは、容姿の美しさをも超える、女性にとって究極のものだったに違いない。

そしてそれは体内から肌を通して発散される芳しさ。

"匂うような美しい肌"という表現は、ここから来ているのかもしれない。

中が透き通って見えるような透明な肌を見ると私はいつもある種の"香り"を感じる。

甘酸っぱく澄みきった香りがふと匂うのである。

それはちょうど香りのいい果物がそこにあるようにまわりの空気が浄化されるからだと思う。

少なくともそれは、きれいにメイクされた肌ではない。

かといって、洗いたての木綿のような若い肌でもない。

指が吸いつくようにみずみずしい、ピンクに熟した大人の肌とでもいうのだろうか。

圧倒的に美しい肌は、それだけで"雰囲気"という空気を生むのである。

さて、あなたの肌は匂うだろうか。

今日から香らせるスキンケアを始めよう。併せて<a href="http://www.healthy-one.co.jp/online_shop/detailsfile/chastetree.html" target="_blank">チェストツリー</a>ものみ始めたい。
]]>
      
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   <title>古書院</title>
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   <published>2011-07-13T07:00:34Z</published>
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   <summary>古書院の外壁リフォームは、明治26(1893)年の修理の時に旧来のものはすべて取...</summary>
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      <![CDATA[古書院の<a href="http://www.tosou-navi.jp/" target="_blank">外壁リフォーム</a>は、明治26(1893)年の修理の時に旧来のものはすべて取り除かれ、下地から新しく作り替えられていました。


したがってここの壁仕上げが創建時以来一貫してパラリ仕上げであったか否かは厳密には不明であるが、しかし明治修理直前における仕上げがパラリであったことは確実で、かつ切返し仕舞になっていたような痕跡も認められなかったので、パラリ仕上げが江戸時代まで遡るものと推定されています。


なお、今回の大修理においては、明治の壁はすべて除去し、やはり下地から新しく作り替えられました。


これは昭和年代における最高の左官技術を示すものとして、後世に伝えられることになります。
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   <title>なかなか良かった旅行　６</title>
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      道道918号線を快走して再びフェリーターミナルを通過し、鴛泊市街を抜け島の西側へと進んで、利尻町に入りました。


海の向こうに礼文島が横たわっています。


海は青く、島の上空には雲もない。


左窓の利尻富士も山頂付近に雲はなく、きれいに全体が見えていました。


判断は正解だったらしい。


沓形の街に入り、山に向かう道へ左折した。


利尻富士から下山した時に歩いた道です。


利尻登山線の名があります。


この間徒歩で下った時よりはるかに速いスピードで走っているのだが、見返台園地に着くまでがもどかしかった。


      
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